有馬靖彦の
クラリネット吹きのひとりごと  2001

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2001 12月

「オー・ベィビー」と言われ握手してくれたルイ・アー ムストロングの大きな手の温もりは、37年経った今でも当時の感激を思い出す。
 南里文雄とホットペッパーズの一員だった1964年12 月、南里先生がメンバーに「サッチモに会いに行こう」と言われ、宿泊先のヒルトンホテル(現在のキャピタル東急ホテル)に連れて行ってくれた時のことだっ た。
 ホットペッパーズのユニフォームを全員で着て行き、硬くな り何を話したのか分からないぐらい舞い上がっていた。でも、ちゃっかりサインをしてもらってきた。今でも“To Y.Arima”と書いてもらったルイ・ アームストロングのサインが部屋に飾ってある。宝物だ。
 何しろ高校生の少ないポケットマネーで最初に買ったレコー ドが、ルイの演奏した「ウエスト・エンド・ブルース(コロンビアM120)」のSP盤だったのだ。
 そのルイ・アームストロングに会えた嬉しさが、その後を支 えてくれている。

2001 11月

 シャワーが付いた部屋だった。今から33 年も前にソ連邦(今のロシア)のナホトカから大陸横断列車に乗ってハバロフスクに向かう寝台列車の中だ。
 ソファーとテーブルがあり、二段ベッドが付いた 個室で、まして洗面所やシャワーもあった。
 車窓は行けども行けども原生林と平原で、人家な どは無く大陸の壮大さに圧倒された。
 横浜港から船で2日、列車で1日、ジェット機で 8時間、やっとモスクワに着いた。何しろ午後3時頃飛行機に乗って着いたらまだ太陽が燦燦と輝いているのに、眠くて仕方なかったが興奮して街に出掛けた。
 モスクワ「赤の広場」の広さに驚き、地下鉄のエ スカレーターの長さはどこまで降りて行けば電車に乗れるのかと思ったほど深い深い地下にあった。
 レニングラード(今はサンクトペテルブルグ)の エルミタージュ美術館は、今まで驚かされた中でも抜群で、建物の中には1,000の部屋と200個所もの階段があり、全部回るのには30キロも歩かなけれ ば回れないと聞き、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ゴーギヤン、モネ…などの傑作を少しだけ観て回り、後ろ髪を引かれる思いで宮殿を後にした。広い、大きい、 驚きだった。
 

2001 10月

 水道をひねり洗面器にたまった水を 見て驚いた。「水と黒い動く物」があるのだ。エッ!何だ何だ!!覗いみると、それはボーフラだった。
 初めての海外演奏はヴェトナム戦争のアメ リカ軍慰問で北ヴェトナムとの国境に近い南ヴェトナム北部ダナン市郊外にあった大富豪の離れの一室が我々の宿舎で、そこでの朝だった。
 海外では生水を飲んではいけないと、行く 前から聞いてはいたが、水道からボーフラとは日本では考えられない事にショックを受けた。
 夜は照明弾が花火のように空に舞い上がっ ていき、昼間の如く明るく、ドーン、ヒューと弾丸が飛んでいく音がしていて、そこはまさに戦場なのだ。
 戦火の中、米軍クラブでの演奏は白熱し、 アンコール、アンコールで一時間半にもなっていた。どんな時でも音楽は人々に癒しを与えることが出来るのを知り、嬉しさを噛み締め戦地にいるのを一瞬忘れ させてくれた。
ニューヨークの事件をテレビで見て、34年 前の戦争を思い出していた。

2001 9月

「ドーンッ!!」ものすごい音がしてそちらを見る と、熊がオリの上からクサリで吊り下げてある古いタイヤに飛びかかっているではないか!!それは地面から2メートルはあるかと思える。熊があんなに早く、 しかもジャンプするのを見たのは初めてだった。
 いつ頃からか渋滞を避けるために一泊して帰るようになっ た。それは毎年行っている山梨県白州・尾白の森名水公園(べるが)のピクニックコンサートに出演した帰り、白州町の隣り武川村柳沢にある温泉旅館「藪の 湯・みはらし」での散歩の時に見た光景だ。何年も前から泊まったことがあるのに、オリの近くに行ったことはなかった.オリが二つあり、馬と鹿ではなく熊と 鹿がいた。朝風呂に入り散歩して良かった。
 何しろ風呂場の窓を開け夕闇せまる緑の山並みを見ながら 温泉に入り、後のビールの旨さは格別だった。「みはらし」とはすごい命名だ。
 8月の最終日曜日のコンサートが終わり大渋滞の中央高速 を新宿に向け運転していたのを思うと今朝は天国だ。

2001  8月

 長ネギの螺旋階段にはまいった。それは料理教室で、 長ネギのみじん切りを作るのに、林訓美(リン クンピ)先生が話した言葉だった。「長ネギを縦にして回しながら、皆さんの家の玄関を入った所にある螺旋階段のように切って、最後に横にして切るとできま す」。どこの家にも螺旋階段があるわけではないのに、さすが名人はユーモアにあふれている。
 茎ワサビの酢漬けを何回作っても辛くならない。スナックで 食べたのは辛かった。どうして辛く出来るのか聞いた。「湯通しして塩でもむのよ」。塩が抜けていたのだ。ママも名人だ。
 ピクルスを作ったら酸っぱすぎた。よし、今度は酢は簿く砂 糖は多く入れて水も多くしてと作ったが、5リットル入りのガラス瓶の中は濁ってしまい、生ゴミに化けてしまった。
 他にもいろいろ作るが、失敗も多い。それでもまた作る。料 理の迷人かもしれない。

2001  7月

 旅をするのが好きだ。緑一色のこの季節は微妙 な彩りの違いに魅せられる。そこに温泉があればなお嬉しくなる。
 名古屋からの帰り、急ぎ旅でないのを幸いに東名高速 か中央高速で帰るか迷った。天竜峡の近くに温泉があるのを思い出し中央高速を走った。
 小牧からの緑は素晴らしく、恵那ICから国道257 号を走り信州平谷温泉に向かった。山々の間に流れ落ちる川は「暴れ川」らしく、あちこちで崖崩れがあり岐阜県から長野県に行く道は通行止めだった。違う ルートを通りやっと着き温泉に入ることができた。・・・幸せ・・・

2001  6月

 夜、電話が突然鳴った。この時間では仕事の 連絡ではないと思いながら受話器を取ると、昔の草野球仲間で当時の強打者「おたきさん」からだった。
「有ちゃん元気!今、有ちゃんのよく知っている人と かわるから」と、かわってみたものの声を聞いても分からない。
話しをしているうちセカンドを守って守備の上手かっ た「武ちゃん」と分かった。
 何日か過ぎ、浅草のライブハウス「ハブ」で誰かに 似ている人が客席にいた。楽屋にいると、その人が話し掛けてきたがすぐには分からなかった。昔の草野球の仲間で鳥料理店 店主「武ちゃん」だった。27年ぶりに会った仲間は、年月を忘れさせてくれ草野球の話しに花がさいた。
 ジャズも息の合った仲間との演奏は楽しい。デキ シーランドジャズのアンサンブルの妙が醍醐味だ。楽器で対話のできるジャイブの仲間は素晴らしい。

2001  5月 (創刊号)

 東京を離れて演奏旅行に出るジャイブは、 ジャイブ号で高速道路を通行することが多い。
 4月23日、名古屋のサッポロライオン名古屋ビー ル園「浩養園」3周年記念ライブには、東名高速道路を走行した。
 この時期、新緑のさまざまな彩りは運転しながらも 楽しめる。海老名のサーピスエリアを過ぎ相模川のあたりから右手に丹沢の山々が見えてくる。いつも緑の山並みが見えているが、以前登ったことのある大山や 塔ノ岳がどの峰かと思いつつも通り過ぎてしまう。
 大井松田でも、御殿場でも、日本一の富士山はどこ からでもすぐ分かる。
 ジャイブの良さは、アンサンブルだと思っている。 すぐわかるだろうか、自問自答の今日この項だ。


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